本当に正しいピアノと先生の選び方 冴子の独り言

なはは、このところ別のカテゴリにかかってて、このテーマDadに任せてたけど、ようやく私が登場となったので、少し感想書いてみます。

私は3歳からピアノを習ってきた訳だけど、だから15年以上弾いてます。そうなると最早プロも顔負けってレベルでもおかしくないように
思う人もいるけど、とんでもない。
なんせピアノ大好き! 先生大好き! でも練習はダーイダーイキライ!
なわけです。私にとってのピアノは毎日の生活の一部になってるけど、それは毎日弾いてるという意味ではないのだ(笑)


チビチビの時に使っていた教本たち、レッスンのたびに好きなシール選ばせてくれて好きなところに貼らせてくれた。うれしかったなぁ!
 特別気に入っていた「おさるのかごや」という曲、有名な童謡ではない。長い間これを口ずさんでいて、姉も覚えていて一緒に合唱したり(爆笑)ダーイすき❤

先生は本当に素敵に優しくて、それでいてツボはしっかり抑えてくれる、名教師ここにあり!を地で行くひとだけど、発表会を必ずやるんだよねー
で、普段は週1,2の練習だけど、さすがに発表会前はスイッチ入ってめちゃめちゃ練習するんです。全然苦じゃないから不思議です。
小さい頃から出てるし、その写真もちゃんと、こだわり大好き、ハーレー大好きのITエンジニアの先生の旦那さんが全部録画してくれてるし、立派な写真も残ってます。Dadがそこら中に写真を飾ってるので、イヤでも目に入ったりします。たまにしっかり見てみると、フリフリドレスを着た得意げな自分がいて、なんか微笑ましいなあ・・・ピアノやっててよかったなーって思うんです。
ようやくソナタとか弾いてるけど、私より遅く始めて去年だっけ、東京芸大入った人もいれば、ピアノが大好きになって調律師になった人もいます。先生の生徒さんで、ついにピアノの先生になった人もいますよ。

私は細くなが~く、楽しみで弾いていこう思ってるけど、レッスン1度もイヤと思ったことないし、練習ゼロで習いに行ったことも数知れず。先生の生徒さんは多士済々、各自が自分のスタンスに応じて習っていって、自分とピアノとの関係を築いてるんです。これって凄いよなあ・・・
私は「さえちゃんとしゃべってると癒やされるー! 」て言われてます(自慢? )
でも「しゃべってる」です、「しゃべってる」! 弾いてるじゃないから(爆笑)

2018年 高槻ジャズストリート 食の文化祭の楽しみ方 そのヒミツとは・・・

こんにちは、冴子です。
私の住んでいる高槻市の名物イベントのひとつは「ジャズスト」の名で親しまれている「高槻ジャズストリート」です。

今年で20回目を迎えた大イベントで、もはや全国区、北は北海道から南は沖縄のバンドまでやってくるようになりました。
個人的には昔の地元バンド中心の方が良かった気もしますが、イベントはどうしても拡大傾向にあるので仕方ありません。
その分有名アーティストが多数出演してくれるので、それはそれで楽しめます。

さて、このイベントは毎年5月の連休に催されるので、今年のジャズストは終わってるんです。

でも

ご存知の方も多くなりましたが、実はジャズストは秋にも開かれてるんです。

ジャズストの楽しみは、なんといっても音楽を聴きながらオイシイ物を食べることですよね!
春は音楽が主役になりますが、季節は「食欲の秋! 」というわけで10年前から行われている秋のジャズスト(?)はジャズとグルメフェアの名の下、食の文化祭として開かれてます。

秋は春ほど大掛かりではないですが、その分地元の雰囲気が味わえます。
今年の食の文化祭は10月13(土)、14(日)の二日間、AM10時~17時、高槻市立第一中学校グラウンドと高槻城跡公園付近で行われます。
食の文化祭のいいところは、春のジャズストは食べ物はあくまで脇役なわけですが、今度はこっちが主役なので、高槻の地元住民しか知らない地元有名店が多数出店することなんです。




秘密というのは、公然の秘密だけど(笑)、食の中心は第一中学校の方なんです。それと高槻市消防局の消防車もやってきます。子どもたちは大喜び間違いなしです。
城跡公園は食べ物は少なく、そのかわりこちらは本格的ライブステージを2ヶ所に設け、フリマやアートといった文化祭のイメージ。小さい子どもが喜ぶ遊具があり、高槻市のゆるキャラ、はにたんもいます。アートの広場では大人を楽しませてくれるアクセなどの展示販売もあります。

ということで、作戦的には、大人は早めに出かけ、第一中学校グラウンドの好みの席をゲット! 昼間からビールを飲んで美味しいものを食べながらジャズを楽しむパターン、酔った勢いで城跡公園に繰り出し、財布のヒモを緩めて買い物!
ちびちゃんとかがいる場合はゆっくり先に城跡公園に行って遊び、お腹が空いた頃に第一中学校へ行くのがいいのではないかな・・・第一中学校のグラウンドはいっぱいに席が用意されてて、大人が堪能してきた頃だと、席取りに神経質になることはありません。毎年行ってますが、少し見渡しているとすぐに空きが出来てきます。




なお、一応エコをうたっているので、スーパー袋とかウエットティッシュなどを持参するのがいいでしょう。また日傘はひんしゅくを買うので日差しが気になる女性は帽子を用意するのもいいですね。

アクセスは阪急高槻市駅から南の方へ歩いて10~15分くらい、みんなぞろぞろ歩いているのですぐわかります。自転車でもいけますが車はオススメしません。また雨天中止なので、好天を祈りましょう!

遙かなるベヒシュタイン4 冴子登場! 子どもにピアノを習わす時の注意点

私は先生との相性が悪く、習うのをやめてしまって長くピアノから離れていた。

そんなこんなしているうちに結婚し、娘ができたのである。
共働きだったので長女は保育園に預けた。いい保育園だったが、その保育園で習い事を教えてくれたのである。絵画教室とピアノ教室だった。
月謝が安く、すぐに飛びついた。
娘は絵画教室がお気に入りだった。先生がとてもおもしろく、授業参観もさせてくれたし、作品を世界児童画コンクールに出品してくれたりした。
そこで娘は賞を取り、ますます楽しくなったようだった。

一方ピアノも習わしたのだが、こちらは先生が厳しく、あまり楽しくなさそうだっが、それでも頑張って続けていた。
はじめての子どもであり、私はとにかく娘に入れ込んでいた。
娘が生まれた時、「世界で一番娘と遊ぶお父さんを目指そう! 」と思い、できる限り時間をとって娘と一緒にいた。
妻のほうが帰るのが遅かったので、保育園のお迎えは私だった。娘は園庭で遊ぶのが大好きだったので、帰るのはいつも最後、園長先生が「もうそろそろ帰ってご飯食べ」と帰宅を促してくれた。

そしてピアノだ、レッスンのある前の日など、必ず時間を決めて私が教えたのだが、本当にアホだった。
ついつい熱が入り、口調が厳しくなる。娘は終わると母親のところにしがみついて涙を流したりしていた。
それを見て、「ああ、今度はきっと優しく接しよう」と思うのに、また声を荒げてしまう。
なんのことはない、前項で偉そうなことを書いていた私は、実は同じような仕打ちを娘にしていたのだ。
このことを思い出すたびに自責の念に囚われ、何度も「ごめんね、ごめんね」と心の中で詫びるのだ。
何故もっと楽しく、優しく、娘がのびのび弾けるように指導できなかったのだろうと・・・
そして、保育園卒園と同時に娘はピアノをやめてしまった。その一因が私にあることは間違いない。
よく言われるとおり、自分の子どもに教えるのは難しいというのを身をもって体験したのだ。

ようやく冴子の登場である。 上の娘とは6歳離れている。
上の娘にも習わせていたのだから冴子にも、と、ピアノを習わせようということになった。
保育園の先生は厳しかったので、今度は別の先生を探そうということで、ある日、調律をお願いしていた人に、「どこか近くにいい先生いませんか? 」と聞くと、「ひとりいます。 」というので、出会ったのが今の先生だ。
冴子3歳、一緒に行ってお話を聞き、体験レッスンを見せてもらった。この先生はいままでの先生とはまったく違う考えをお持ちの方だった。
近現代曲の名手でコンサートも開き、リトミックも教えていて、特に幼児にはまず音楽の楽しさを教えるというスタンスだった。
半分遊びみたいなレッスンがすっかり気に入った冴子は習うことに決まり、週に一度通うようになった。

上の娘はその頃、バスケットなどをやっていたが、冴子が楽しそうに帰ってきて、レッスンの時の話をするので、「ねーねーも1回見に行く!」と言い出した。
前のこともあるので、こちらも喜んで、ある日のこと、上の娘が冴子のレッスンに付いていくことになった。
帰ってきた娘は「私も習おうかなあ・・・」と言ったのである。
否はなかった。自分のせいもあってやめてしまった娘がもう一度習おうといいだしたのだ。私は心から嬉しかった。
こうしてふたりは長きにわたり、ピアノを習うことになった。付き添って行って見ていると、楽しそうで、しかも上達が速い! 「マズイ、このままでは抜かれる! 」
娘にライバル意識を持つ父親もどうかと思うが、ついに私も入門することになったのである。

ピアノを習わす理由はいろいろあるだろうし、親の中には専門家もおられるだろう。確固たるポリシーを持って習わせたりする人もあるだろうが、将来はピアニストにする!なんて思っている人は圧倒的に少数だろう。
平均レベルで見れば、多分大多数の親は、私の友人が言っていたように「女の子やし、ピアノとか習わそうと思うんや」程度のノリ、また別の親戚のように「ピアノやったら頭ようなるゆうやん、そやから習わそう思うね」くらいの動機ではないかと思う。

それなら長続きのコツは楽しさだ、練習嫌いの冴子は次のレッスンまで一度も弾かなかったこともある。それでもレッスンを休むとかやめると言ったことは一度もない。
そしてこのところ言われるように、頭の回転にも影響があったのか、親も舌を巻くような考え方をしていたりする。それがピアノをやっているせいかどうかは定かでないが、少なくともマイナスにはなっていないだろう。

上の娘も冴子も受験期に一旦ピアノをお休みしたが、ふたりともまた習うと言っている。そう言わせるのは間違いなく先生がくれたワクワク体験が、楽しい思い出となって、ふたりの中に住み着いているからだと思う。



遙かなるベヒシュタイン3 先生との相性ということ

私は大学4年の時、ピアノを正式に習い始めた。
先生は30代くらいの女性で、自宅でピアノ教室をされていた。
厳しい先生で、「今度までにこれをやってきてね」という課題が出た。
しかしこれが出来ない、言い訳に過ぎないが、学校生活が就活も含めて忙しいし、バイトもやっていて、気持ちが
なかなかピアノに向かない。ついついろくに練習もせずにレッスンに行ってしまう。
当然うまく弾けるわけもなく、すると「全然だめね、練習してきたの? 」と言われる。
「ここでちょっと弾いて、家で弾きもしないでまた来てもおんなじこと繰り返してるだけだけどね」みたいなことを言われる。
 言われても仕方ないと思うのだが、言い方がキツく、グサっと胸にささる。
 かといって練習をよくするわけでもない。するとレッスンに行くのがうっとおしくなるという悪循環。
 しかし月謝は前払いだったから、もったいないという思いもあり、何ヶ月かは続けた。
 
 そんなある日、ゼミの用事があってレッスンに大幅に遅刻してしまったのだ。ケータイがない時代で、電話番号も持っていなかった。
家に帰り着くと大慌てで楽譜を抱えて先生のところにでかけた。
「すいません、ちょっと用事があって、遅れてしまいました」
文句を言われるかと緊張していると、
「別に構わないのよ、貴方のレッスンは5時から5時40分と決まってるから、遅れてきたらあなたのレッスン時間が
短くなるだけだから」と言われた。
言葉通り、10分ほどでレッスンは終わった。
 先生のいうことはまあもっともで、仕方ないとその時は思った。
 そして次の週、遅れてはいけないと少し早めに先生の家の前に来ると、私の前の時間にレッスンを受けている女の子が出てくるところだった。
確か小4だったと思う。
「あ、こんちわ、ちょっと早いね」声をかけた私は驚いた。女の子が泣きはらした目をしていたからだ。
「どしたん? 」と聞くと、「うまく弾けんかったら来なくていいって言われた」としゃくりあげながら言う。
「そうなん? 練習せんかったん? 」と、自分と同じ伝かと思い、聞くと、
「した、しても弾けへん」と悲しげにうつ向いて自転車を押していく。
 今もこの情景を思い出すと、その時のモヤモヤした気持ちに襲われる。(練習しても弾けないから習ってるんやん?
まあ俺は練習もろくにしていないけど、そう言えば習い始めてからワクワクする気持ちになったことなかったなあ・・・)
 私はその日のレッスンが終わったあと、「ちょっと忙しくなるので辞めます」みたいなことを言って、辞めてしまった。
 
 課題をきちんとこなして、時間を守り、一生懸命ピアノに向かっている人にはいい先生だったのかも知れない。
 しかし、うまく表現出来ないのだが、この人はそういう次元でないところで、教師には向いていなかったと今は思うのだ。
「何を勝手なことを!」と言われるかも知れない。でも、この先生には生徒に対する愛情がなかったのだ。それだけではない、楽曲に対する愛情も欠けていたのではないかと思う。
 3歳から父にバイオリンを習ったが、父はとても優しく丁寧に教えてくれた。何よりも、楽曲に対する愛情をいつもオーラのように発生していて、時には曲についてその背景や面白いエピソードを話してくれた。それが楽しくて習っていた。
 私は英語を教えるのだが、いつもワクワク感を持って何千人も生徒を教えてきた。楽しんで、高揚感を持ってモリモリ力を付けて、「センセ、わかったー!」と言った時の生徒たちはみんなものすごくいい顔をしている。
 卒業生とたまに会った時、一番悲しいのは、「先生、覚えてないでしょ? 私英語悪かったから・・・」と言われることだ。この子はそんな風に思ってたのか!と気の遠くなるようなショックを受ける。そんな時は誤解を顧みず「そんなことないよ、ぼくは君が好きだったんだよ」みたいなことを言ってしまったりする。その人に英語の世界の面白さを教えられなかったんだなあ・・・と、それはそれは切ないのだ。
 
 だから、ピアノだろうが、学校の科目だろうが、スポーツだろうが、生徒に対する愛情がない教師が良い教師とは私は思わない。
 教育は愛だと思うからだ。自分の取り組むものに対する愛、それに取り組もうとしている者に対する愛、それなくして教育はない。

 なので先生との相性というのは、その先生が生徒や教える内容に対して愛情を持って接しているかということと大いに関係があると思う。
 人生を送っていくと、あらゆる場面で、合う先生、合わない先生に遭遇するだろうが、よく考えてみると、愛情を持って教えてくれる先生との相性が悪い場合というのは、そうでない場合に比べると遥かに少ないに違いない。

遙かなるベヒシュタイン2 C-1教室のシューマン


私は大学に入ってからふたたびピアノを弾くようになった。その訳を書いておきたい。それが、いまでも音楽を聴き、
ピアノを弾いている大きな理由と思うからだ。読んでいただいて共感してくれる人がひとりでもいればとてもとても嬉しいだろうなあ・・・

以下は1986年に出た「An die Musik」(音楽に寄せて)創刊号に掲載された「C-1教室のシューマン」を少し加筆修正したものだ。

 私は、これから始まる新入生対象のオリエンテーションのことを考え、玄関の前でフーっと1つ、息をついた。
 大学は当時、古い木造で、老朽化がひどかった。その上、増加した学生を収容するためにあとから建てられた継ぎ足しの校舎が枝分かれしていて、結果、何種類もの建物が合わさってわけのわからない外観を呈していた。
 天井や廊下の壁は剥げ落ち、それをビラと落書きで補修してある。木の床は、どんなに気を使って歩いてもギイギイと鳴った。
 Bのなんとかという教室へ向かおうと、階段を登りかけてた時、「おやっ」っと思った。
 どこかでピアノの音がする。少し耳をすましてみると、それはシューマンのコンチェルトだった。「へーえ、こんなボロ大でも、CDをかける装置があるのか・・・」
「いい曲だよなあ・・・え? 」違和感があった。
「あれ? これピアノのソロやん? そんな・・・」信じられない気持ちで私は、音を頼りに進んでいった。
 ピアノはC-1という、大教室から聞こえてくるのだった。
 そっとドアを開けると、女の人がひとり、背中をこちらに向けて、シューマンのコンチェルトのピアノパートを弾いてる。
 どこかで聴いたシューマン、何故こんなに素晴らしい演奏なのだろう。そうか、リパッティのシューマンなんだ・・・私の大好きなリパッティの1950年、ビクトリアホールの演奏会・・・この人、真似てるのかな、それにしても・・・
 私は知らぬ間に、ずいぶん近づいていたようだ。その人は気配を感じたのか、それともピアノに私の姿が映ったのだろうか、演奏を中断してこちらを向いた。
 白いブラウスに茶色のジャンパースカート、茶色の靴、そして、私に向かって「こんにちは」と言ったのだった。
 Fさんというその人は、ドイツ語科の2回生だった。
 

それからの3年間、私の生活の、音楽に関する部分の中心はFさんとの交友だった。
 Fさんの演奏を聴いていると、1音1音の大切さ、音色、粒立ち、フレージング、ペダリング、誤魔化しまで含めて、演奏に無駄な音なんて1つもないんだと思われた。眼の前で美しい音楽が出来あがっていく光景を、ワクワクしながら見ることが出来たのだ。
 優れた演奏を聴く度、何故こんな風に演奏できるんだろう、何故こんなに美しい音を紡ぎ出せるんだろう、と思い続けてきた私は、その不思議の鍵を、やっと知ることが出来たのだった。
 ベートーベンが好きで、私の好きなモーツアルトを好まず、それでも卒業式の迫った冬のある日、いつも聴きに行く時間にK310のソナタを見事に演奏していたFさん。
 どうして音大に進まなかったのかと聞いた時、東京芸大を薦められたが、どうしてもドイツ文学がやりたくてここに来た、と言っていた。そのドイツ文学では3年の時、すでに未邦訳作品の翻訳を出していた。
 演奏会のすべてが素敵だったが、とりわけ、最後に大学のオケをバックに弾いたエンペラーのまばゆいばかりの輝きは、今も私の心の中にある。
 Fさんのことを思い出す時、けれども、心はいつも、あのC-1の教室に戻っていく。初めて出会った日、聞こえていたシューマン、窓から差し込んでいた光、雑然と並んでいた机、楽譜・・・
そしてFさんは、振り向いて、「こんにちは」と言ったのだった。

 プチエルのミニコンサートでスタインウェイを弾く。プライバシー保護とか言って誰かが顔に落書きした(ーー)

 この原稿をポツポツ打ち込みながら、改めて「出会い」の大切さを思う。音楽だっておんなじだと思う。
 そして正直なところ、何故住所や電話番号を聞いておかなかったのだろうと思う。
 今なら格段に進歩した通信手段で、きっと繋がっているのだろう。
 Fさんが卒業後、私はピアノを習うことになる。家の近くにピアノ教室を開いている武蔵野音大卒の先生がいた。
 

遙かなるベヒシュタイン1 ピアノが家にやって来た!!


京都の町家はうなぎの寝床、間口は狭いが、奥へ長く伸びている。

京都市上京区寺之内通の家に小学4年生の哲郎は今日もランドセルを担いで帰ってきた。

「え? 」
何故か玄関を入った左手の和室にピアノが置いてある。
「え? おかーちゃん!」
「なんえ? 大きな声だして」
「いや、なんえって、ピアノ?? ピアノ買ったん? 」
「そんな高いもん買うかいな、これ、当たったんや 」
「へ!? 当たった?? 」
「そや、懸賞出したら特等や、ええやろ 」
「ええやろって、当たったって、ほんまかいな! すごいやん、すご過ぎるやん! 」
大きな母親の姿がこのときは特に大きく見えた。
「お母ちゃん運ええからな」と微かなドヤ顔をする母親。
「いや、そんなレベルちゃうでこれ、怖いわ!」
「なにが怖いねん? いままででもお酒も自転車も当たったやろ?」
「そやな、そやけど・・・ピアノ、凄いなおかあちゃん・・・」

 と、物書きの血が騒いで物語を語ってしまいそうだが、娘が言うようにこのブログの記事は趣旨が違うので我に返り、事実を言うと、やたらに運の強かった私の母親は、自転車(多分今なら車に相当するくらいのレベルだと思うが)を当てた実績(?)があった。しかし、まさかピアノを当てるとは・・・今から半世紀も前のピアノは普通の家庭がおいそれと買えるものではなかった。
そのアップライトは、今は知る人もほとんどないだろう「VICTOR-ZENON」製。そんなところがピアノを作っていたの?というメーカーのピアノだった。
このピアノが我が家にやってこなかったら、私がピアノを弾くことはなく、ピアノを取り巻く素晴らしい世界を知ることもなかったかも知れない。
これは間違いなく、私の生涯に起こった奇跡的な出来事ベスト10に入る物凄いことだったのだ。
こうして、野球少年はその日からバイエルを始めた。もうそれは面白くて毎日毎日何時間も弾いた。この頃が一番ピアノに向き合っている時間が長かったのではないかと思う。
先生は父だった。父はバイオリニストで、関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)でビオラを弾いていた。ピアノもそれなりには弾けてたので、仕事の合間をぬって教えてくれた。
 父が若い頃愛用したビクターの蓄音機、His masters viceについてはいつかまた・・・

この話がピアノ選びやピアノの先生選びにどう役に立つのかと言えば、あんまり役には立つまい。
ただ、どんなきっかけにせよ、どんな分野にせよ、チャンスが与えられると、そのチャンスがきっかけになって、その対象は生涯の伴侶となるということはある。とはいえ、私は数年は狂ったように弾いていたが、そのうち野球や他のことに興味が移っていき、あれだけ好きだったピアノを弾くことがほとんどなくなる時代がやってくる。が、これはパーソナルヒストリーを書くところではないので、余計なことは端折って、折角読んでいただいている方のために役立ちそうなピアノ関係のことを思い出してみよう。 

本当に正しいピアノと先生の選び方 遙かなるベヒシュタイン


なんかものすごく欲張ったタイトルです。
その訳は、これから書いていく記事は冴子とDadと我が家のピアノの先生、それと世界的な名調律師Mさん(本名出していいかは今度聞いときます笑)の合作だからです。

記事の目的は、これはもうタイトルそのまま、多くの人の悩みの種、子どもにピアノを習わせたいお母さんから「時間出来たし、ボケ防止にピアノでも始めるかぁ」的なシニアさんまでの永遠のテーマともいうべき、
「ピアノ習いたい、習わせたいけど、どっかにいい先生はいないかな? 」
「ピアノ買いたいけど、どうしたらいいかなぁ? 」
「どのくらい費用かかるのかな? 」
「調律ってどうするの? 」
「防音対策は? 」
みたいな、沢山のピアノに対する疑問の解決法のヒントになること。あとベヒシュタインの素晴らしさについても少し。

4人がピアノを習った我が家の経験と、ピアノ友だち、ピアノの先生とMさんの知識などを総動員して書こうという壮大な構想、そのために先生やMさんに取材させていただこうとも思ったり・・・授業、部活、バイト、友だちとのお出かけとか、あー、昨日先輩が「生理学は2/3落とされる」とか言ってたし! 大丈夫かしら?? でもブログハマって来たから気合入れます!

ちなみに我が家はすべて素人ピアニストで、音大へ行っている人とか、将来ピアニストを目指しているとか、
そんな人いないです。でも、この記事は、そんな人も含めてひょっとすると役にたつかも・・・
物語的に読んでもらって、その中から「そうか、そうやんなぁ」という閃きを手に入れてもらって、
ピアノ選びとか先生(教室)選びがうまくいって、何年後かに、「正解だった!」という人が出てきたら、このブログ、すごく嬉しいなあ!
Dadにそんな話したら「ぼくは大風呂敷広げて失敗したから、まあ頑張れ」とか言う。そうでした、Dad、小説の電子書籍化、挫折してたからなあ(爆笑)
我が家の3代目のピアノ、ヤマハの小型アップライトでテクニクスのサイレント機能が付いてました。


さて、何から始めましょう。そうだ、まず検索「ピアノの正しい選び方」「ピアノ教室の正しい選び方」っと。
あらら、予想どおり物凄い量、そうですよね、こんなテーマ、もう何万と書かれてるだろうし。

で、いくつか検索上位に出てくるサイトを読んでみると、失敗しない選び方、上手な選び方、中古ピアノの選び方、最適な選び方・・・
なるほどなるほど、失敗しない教室の選び方、失敗から学ぶ選び方、子供のピアノ教室の選び方、ふんふん・・・

そして、それぞれのサイトにはそれぞれ役に立つことが書いてあります。真逆的なこともあるけど、それぞれ説得力もあり、
ますますラビリンスに入り込んで行くのだなぁ・・・

で、思いました。「結果オーライ」という言葉がありますね。このテーマもそんなとこがあるのではないかな・・・
何年かして、何十年かして、「ピアノ習わしたけど、全然ダメだったわ」「このピアノ、なんかイマイチなんだよね」
みたいなことになると失敗の巻、「ピアノ習っといてよかった」「このピアノ買ってよかった」となればめでたしめでたし。
で、めでたしめでたしへの過程が「正しい選び方」という話になるのではないでしょうか。だからそれはめでたしにたどり着いた人の数だけあるのかなぁ・・・

そこで、またも思いました。「結果オーライ」というより、All’s well, that ends well.(終わりよければすべてよし)かな。紆余曲折があっても、最後に「よかった!」って思えることが大事だ。

そう考えてきて、「いい先生の選び方」→子供が喜ぶこととか、経験のある先生にとか、口コミを大切にとか、実績のある◯◯ピアノ教室なら大丈夫・・・的な単刀直入なのはやめることにしました。そんなサイトはいっぱいあるし、今更若造が何いってんの? くらいに思われるのがオチだと思います。
 我が家最初のグランドピアノ、やっぱりグランドはとても魅力的。純正のサイレント機能が付いてます。

そうだなあ、少し回り道に見えても、我が家のピアノの歴史から始めましょう、それを読んでいく中で、読んだ人がそれぞれの段階でなにかを掴んでくれるかも知れません。
で、歴史となると、私の生まれる何十年も前の話を語れるのはDadやMさんです。

このあとは、Dadに起こった奇跡のお話から始まります。ベヒシュタインのこと書きたいと駄々こねてタイトルに入れたんだから、その責任もありますからね(笑)