2024年11月13日追記 9月末の個展も無事終了し、近藤先生が来年3月を持ってミヤザキアトリエをお辞めになるというショッキングなニュースが入り、それなら仲間の画家さんや鑑賞者さんたちのたまに集まれる場を作ってみるか・・・と、アートマインドコーチングのセッションを定期的にやることにしたり・・・そんなことをしているうちに12月の特別展、1月末まで続くサルビアさんでの個展の絵の入れ替え、3月のe集団展、10月の個展、その間に絵画教室と、絵画関係だけでなかなかに忙しいなこれは(笑)
2024年7月16日追記 これは日記的に書いているのでまとまりのない文章になっているかも知れませんm(_ _)m
何故絵を描くのか・・・面白半分で始めたけど、伯父の件があったり、たくさんの絵描きさんと知り合って、人間関係が大好きなボクはそういう繋がりの中で色々知り勉強できたこともあり、続けてると面白くなり、鑑賞者さんの感想を聞いたり、批評を受けたりして、本気度が上がりました。昨日友人に「疾走してるね!」と言われ、ふと「そう見えるんだ・・・まあ余命も知れてるだろうし、このまま最後まで走り切るかぁ・・・」などと考え、今これを書いてます😅
どんな絵を描こうとしているのか・・・「あなたは何を描きたいのか?」と聞かれるとよくわかりません。紹介や講評に「現実と幻想がない混ざった融通無碍の世界」とか「とても同じ人間が描いたとは思えない」という評価をいただいたのはありがたいです。大抵の場合、画家さんというのはその時その時の特徴があるので、特定の時代を見るとその人の絵だとわかります。 でもボクは同時に違うタイプの絵を描くことができるのだと思います。それは逆に自分でもどんな絵を描きたいのか、画法も含めてあまりわかってないし、考えたこともありません。目に入った気に入った情景やモチーフから頭の中にやって来たイメージをとりあえず描き始めると、それに合った描き方が浮かび、描き始めるけど、すぐに止まったりします。するとそれはしばらく放ってしまって、他の絵を描き始めます。それも止まり、また別の絵・・・みたいに、同時進行で何枚かを描いてます。常にいろんなものが降りて来てそのうち絵が出来上がります。ただ、描くのも見るのも、気分を悪くするものは嫌いです。はっきりキ・ラ・イ! なので、古今の絵の中にもそう言うのがたくさんあって、高く評価されてる絵も多いですが、芸術は好き嫌いの世界なので(笑)そういう絵は描きません。お部屋に飾ってあって、気分が落ち込んでる時などにふと見ているとホッとできたり、癒されたり、笑えるような絵、そんな絵を描きたいと、今この文章描いてたらわかってきました。やっぱり文章書くのはいいですね😀 それと、見たままには描かないです。面白くないので・・・元々物語を書いていたボクは物語性のある絵を描きます。物語って見たままじゃないでしょ?
個展への思い・・・戦死した画家で彫刻家の伯父西田信へのオマージュという気持ちが一番強いので、画風などは全く異なりますが、個展の題は「無言館に寄す」です。目標の一つが、現在、作家名「西田信」であること以外、作者の出自不明で、東北大学医学部に保存されている帝展入選作で伯父の代表作でもある「雫(しずく)」を故野見山暁治さんの無言館に移し、来館者に見てもらうことだからです。絵を描くことも、他のことも、好きなことをできることが当たり前でないことを知ってもらいたい。あとは、来場していただいた方々に「面白い個展!」と思ってもらったり、お気に入りの絵を見つけてもらえたら最高ですね!
ちょっとマジメな話です(^^)
2023年11月30日追記
数日前に夢を見ました。夢枕に信伯父さんが立って、「てっちゃん、絵は面白いか?」と聞くのです。夢の中の自分は、幼かったような・・・「うん、おもろい」と答えると、「見せてくれるか?」と嬉しそうに笑いました。その後も夢は続いていた気がするのですが、覚えていません。どんな絵を見せたのかも分かりません。と言うか、見せたかどうかも分かりません。ただ「絵は面白いか?」と聞かれたことだけは目が覚めてからも鮮明に記憶に残っていました。
夢を見たのは多分、ひと月ほど前から滋賀の実家へ行き、父の残した大量の写真を含めた資料を整理していて、ハンサムな信伯父の姿、楽しそうに家族と語っている笑顔、そして戸籍謄本や戦死についての資料、遺作にして代表作「しずく」の写真の発見、また戦地から母(つまり私の祖母)に送って来た切ない自筆の手紙などが見つかり、私がやり切れない思いで過ごしていたことが原因だったのでしょう。
それで、数日間悩んだ後、意を決して昨日、とあるギャラリーに作品のポートフォリオを持って行き、個展の開催が可能かどうかの審査を受け、許可をいただきました。2024年9月25日から個展開催の予定です。当初個展の名を「伯父からの声」と考えたのですが、多くの戦没画学生への追悼の思いも込めて「無言館からの声」にしようと思います。個展の絵を、まず、天国の伯父や戦没画学生に見てもらいたいという気持ちからです。「絵、見せてくれる?」と聞かれた答えをその個展で出すため、胸を張って「はい!」と言えるものを描くつもりです。
追記以上
以下は以前から載せている記事です。
絵をみるのは好きだったけど、音楽ばっかやってて最後に絵を描いた記憶は小6? そんな私がひょんなことから絵を習うことにΣ(・□・;)
なぜか「e 集団」に入れてもらいましたが、後日談で、いでたちや言動から、はじめ、先輩たちは「あの人は入れてはいけません! 」と先生に進言してたって聞いて爆笑🤣
そりゃそうだわ。ジャラつくバングル、ピアスにタトゥーで、「絵なんて小学校から描いたことないわ」とかうそぶいたら「何しに来たん!? 」ってなるわなぁ・・・
なんでもやりたがりが遊び半分で始めて1年ほど経ったころ、兄妹で「ファミリーツリーを作ろう!」ということになりました。聞き調べをする中で、たまたま徴兵時の合格種が丙種だったため戦死を逃れた母方の伯父からそれまで知らなかった父方の伯父の話を初めて聞きました。
伯父(父の兄)西田信は東京藝術大学を卒業後、画家、彫刻家として活動し、東洋陶器(現TOTO)のデザイナーをしていました。しかし将来を嘱望されていた矢先、太平洋戦争が勃発、出兵を命じられ、わずか28歳で戦死したというのです。(父を入れて3人兄弟だったのですが、父の弟も学徒動員で戦死しています)。生前父に「俺はムリだけど、子どもができたら絵習わしや」と言っていたことを聞き、衝撃を受けました。バイオリニストだった父はそんな話は一度もせず、私も父の兄弟のことを聞いたこともありませんでした。さすがにいい加減人間の私にも、戦争に対する強い怒りとともに、どこかでDNA(?)が覚醒しました。「ちょっと本気度上げたらどうなの? 」という内なる声が聞こえたような気がしたのです。ここからは追記ですが、現在伯父の帝展入選作「雫(しずく)」について調べていて、まもなく報告できると思っています。
この話を聞いて以来、絵にかける時間が一番多くなり、大学にも入りました。描きたくても描けなかった伯父の無念を胸に本気度を上げたのです。すると描くのが面白くなり、世の中には上手い絵を描く人が無数にいることもよくわかりました。ただ、心に届く絵、その人にしか描けない絵を描く人は少ないなぁ・・・上手いだけの人の特徴は、一言でいえば、作品から「愛」が伝わってこない。だから心に響かないんです。近藤親分が体験の時に言っていた「上手い絵描く人なんてゴマンといます。そうじゃなくてあなたにしか描けない絵を描きなさい」という言葉がいつも頭にあります。優しい親分(^^; 親切な先輩たち、なんでも相談に乗ってくれる画材屋さん、偶然お友だちになった凄い画家さん、周りの人たちに助けられて続けてます。絵はひとりで描くもの? それは違います。